人文社会科学部の沿革

静岡大学の創立

静岡大学が戦後の学制改革にもとづく新制大学の一つとして設立されたのは1949(昭24)年6月1日であった。基盤となったのは旧制静岡高等学校、浜松工業専門学校、静岡第一師範学校、静岡第二師範学校(浜松市)、静岡青年師範学校(島田市)の5校であり、大学学部構成は文理・工・教育の3学部であった。その後1951(昭26)年3月には、県立農科大学(磐田市)が国立に移管されて農学部となり、また1953(昭28)年8月には、工業短期大学部(浜松市)、1955(昭30)年7月には、法経短期大学部が併設されて、静岡大学は4学部、2短期大学部を有する総合大学に発展した。

旧制静岡高等学校

文理学部の母体は、旧制の静岡高等学校である。この旧制静岡高等学校は1922(大11)年8月24日、官立の第22番目の高等学校として、当時の静岡市北郊安東村(現在の静岡市大岩本町29番1号)に静岡市の寄付した2万坪の土地を敷地として設立されたものである。以来同校は、大学昇格に伴う廃校に至るまで、26回、4,500余名の卒業生(26回は1年にて修了)を世に送った。

文理学部の組織

文理学部は旧制静岡高等学校の有形無形の伝統を受けついで設立され、人文科100名、理科甲類60名、同乙類40名の学制定員で発足した。人文科は哲学、史学、国文学、英文学、独文学、法学政治学、経済学の8専攻、理科甲類は数学、物理学、化学、生物学、地学の5専攻のほか、医学進学課程(20名)を含み、同乙類は工学部に進む学生の課程であった。医学進学課程は1953(昭28)年4月に廃止され、その定員20名は理科専攻課程に繰入れられた。又、乙類は1959(昭34)年4月に廃止された。
1955(昭30)年人文科は、8専攻のうち初めの6専攻を人文科、残りの2専攻を法径学科へ改組し、1957(昭32)年4月から志望別に入学させることになった。1958(昭33)年4月人文科の学生定員が10名減の90名となった。

文理学部の改組

文理学部はこのように多くの専攻課程を擁して広範な研究と教育活動を行ってきたが、文理学部の組織と設備とは、それぞれの専門的学術の研究教育には不十分であり、地域社会の要望に応えるためには、是非ともこれを発展的に改組して、新しい学部に編成しなおす必要があった。そこで数年をかけて文理学部改組の運動がつづけられた結果、1965(昭40)年4月をもって、これを人文学部と理学部に改組し、別に前期2年の教養課程教育のための教養部を設置することになったのである。
この間、文理学部は着々と教育の成果をあげ、1968(昭43)年までに16回、約2,100名の卒業生を世に送ったのである。

人文学部の組織と大谷移転

人文社会科学部は、発足当初、人文学科(哲学、日本史学、外国史学、国文学、英文学、独文学、仏文学の7専攻)60名、法経学科(法学、経済学の2専攻)100名であったが、その後学生定員は、しだいに増加し、それとともに教育研究体制も改善されてきた。
大学の大谷(片山)地区への移転にともない、人文社会科学部の建物(現在の共通L棟)は1968(昭43)年6月に完成、学部移転はその年の夏に行われ、9月より開講した。その後1981(昭56)年4月に大谷キャンパス高台に鉄筋コンクリート6階の現校舎が竣工し、移転開講した。

専攻科の設置

1971(昭46)年4月、人文学専攻科が設置された。

法経学科の改組

1978(昭53)年4月、法経学科(法学専攻、経済学専攻)を改組して法学科及び経済学科とし、学生定員は各々110名となった。学士号は法経学科の社会科学士から、改組に伴い法学科の法学士、経済学科の経済学士に変更された。
1982(昭57)年4月に経済学科に経済理論、財政金融の2大学科目が設置され、定員が130名となった。
1987(昭62)年4月、経済学科の入学定員は142名(臨時増募12名を含む)、法学科の入学定員は140名(臨時増募30名を含む)となった。
1992(平4)年4月、経済学科の入学定員は157名(臨時増募12名を含む)となった。
1993(平5)年4月に2大学科目が増設され、経済理論、財政金融、比較政策、経営情報の4大学科目となった。

人文学科の構成

1979(昭54)年4月、人文学科に履修上の区分として系を置き、各系に、履修コースを設けた。これに伴い従来の哲学(心理学を含む)、日本史学(考古学)、東洋史学、西洋史学、国文学(中国文学を含む)、英文学、独文学、仏文学の8専攻はそれぞれ「哲学系」哲学・心理学、「史学系」日本史学・考古学、東洋史学、西洋史学、「文学系」国文学(中国文学を含む)、英米文学、独文学、仏文学の3系列8履修コースとなった。
1982(昭57)年4月、社会学科の新設に伴い、人文学科の学生定員が80名となり、履修コースは日本史学(日本考古学を含む)、東洋史学、西洋史学、国文学(中国文学を含む)、英米文学、独文学、仏文学の7コースとなった。
1987(昭62)年4月、人文学科の入学定員は100名(臨時増募20名を含む)となった。
なお、1990(平2)年4月より国文学(中国文学を含む)コースが、日本文学コースと中国文学コースに分かれ8コースとなった。
1991(平3)年4月、人文学科の入学定員は、115名(臨時増募20名を含む)となり、比較言語文化コースが新しく設けられ9履修コースとなった。

社会学科の新設

1982(昭57)年4月、社会思想、社会学、人類考古学の3大学科目で構成する定員40名の社会学科が新設された。なお、1987(昭62)年4月より入学定員は50名(臨時増募10名を含む)となった。
1991(平3)年4月より入学定員は65名(臨時増募10名を含む)となった。

社会学科の改組

1992(平4)年4月、社会学科には、人間学、社会学、文化人類学、歴史学の4大学科目が設置された。学生定員は、95名(臨時増募20名を含む)となった。

法学科の改組

1988(昭63)年4月、法学科が改組され、公法、民事法、社会法、法政理論の4大学科目となった。入学定員は140名(臨時増募30名を含む)となった。

言語文化学科の構成

1992(平4)年4月、人文学科の史学系を社会学科に移し、文学系を言語文化学科に改組した。履修コースは、日本・アジア言語文化コース、欧米言語文化コース、比較言語文化コースの3コースを設けた。学生定員は85名(臨時増募10名を含む)となった。

大学院法学研究科の設置

1991(平3)年4月、修士課程大学院としての法学研究科(政策・経営法務専攻 入学定員6名)が設置された。

法学科及び経済学科夜間主コースの設置

1995(平7)年10月、法学科及び経済学科に夜間主コース(入学定員各40名)が設置された。

大学院人文社会科学研究科の設置

1997(平9)年4月、大学院法学研究科及び人文学専攻科を廃止して、人文社会科学部の4学科全体の修士課程大学院として人文社会科学研究科(比較地域文化専攻 入学定員12名・法律経済専攻17名)が設置された。

こころの相談室の設置

2000(平成12)年5月、静岡大学の教育研究の施設として設置された。一般の方々を対象に子供の問題、心の問題、対人関係の問題について人文社会科学部教官(臨床心理学専門)及び教育学部教官(臨床心理学、発達心理学専門)が対応する。

大学院人文社会科学研究科臨床人間科学専攻の設置

2003(平成15)年4月、大学院人文社会科学研究科比較地域文化専攻を改組して、新たに臨床人間科学専攻(入学定員9名)を設け、併せて比較地域文化専攻(入学定員12名)の研究指導分野の改組を行った。

法科大学院の設置に伴う法学科および大学院人文社会科学研究科の改組

2005(平成17)年4月、大学院法務研究科(法科大学院)の設置に伴い、法学科の入学定員は昼80名、夜間主コース30名となり、大学院人文社会科学研究科法律経済専攻を改組して経済専攻(入学定員10名)とした。

学部名称を人文社会科学部に改称。

2012(平成24)年4月