教員からのメッセージ

ふしぎな日本語

勝山幸人 教授

(日本語学)

日本語という言語は、とてもユニークで奥が深く、本当におもしろい。母語であり、母国語でもありながら、感心させられること、しょっちゅうです。
「お茶が入りました」と、あたかも自然に起きたかのように言ったかと思えば、自然に起きた出来事でも、「皿を割ってしまいました」と言ってわびる。たぶん、相手に恩を着せない、自分の不注意を他人のせいにしない考えからでしょう。「みたいな」を連発し、物事をなんでも曖昧にしてしまうのは、相手の意見に肯定も否定もせず、ただ調子を合わせるだけの表現なのかもしれません。年の瀬に「つまらないものですが」と言って、高価なお歳暮をおくり、感謝の気持ちを「すみません」と言い表す。 聞き手に対する謙りや配慮ではないかと思われます。来てほしくもないのに、「ぜひ遊びに来てください」と誘い、趣味の悪い身なりの人を「センスのよいお召物で」とほめる。ほめるときまって「そんなことはありません」と否定する。単なるこ挨拶にしても不可解です。道で人に会うと、「どこへ行く」「何しに行く」「誰と行く」と、もう根掘り葉掘り。大きなお世話というのではなくて、かつて農村型共同社会にあった、留守宅はみんなで守るという習慣の名残と考えられます。
私たちが日本語を学ぶのは、何のためでしょうか。いろんな助動詞の意味や敬語の正しい使い方を身につけるためでしょうか。そうではありません。それは、日本人の暮らしや価値観、考えをしっかり認識すること。つまり、自分自身を知るために学ぶのです。言語と文化とは、両翼両輪のような関係にある。どちらが大事で、どちらが不要ということはありません。こういうことがきちんと理解できれば、近い将来、みなさんが生まれ育ったこの日本という国で、あるいは世界中のさまざまな国にあって、そこでどんな役割を果たそうとも、自分の進むべき道をけして見失わずに、生きていくことが出来ると思います。
あなたも私たちの研究室で日本語について学び、じっくり考えてみませんか。

『白鯨』(Moby-Dick)を読む

Redford, Steve 教授

(米文学)

ハーマン・メルヴイルの『白鯨』(Moby-Dick) は、アメリカ文学におけるもっとも有名な小説の一つである。一人を除く乗組員全員を犠牲にしてまでも、自分の足を食べた白鯨を必死に捜索する偏執的なエイハプ船長は、アメリカ文学の中で特に印象に残る登場人物である。ある著名な評論家がこの作品のテーマを「過度のあるいは神経質な自己依存がもたらした人生からの脱却」と論じる一方で、別の評論家はこの小説を人間の「真正面からの真実の追求」と評している。双方ともまったく正当な論点から議論しているが、私の場合、これらと関連するものの幾分異なった視点で論じる。つまりこの冒険で生き残ったイシュメルが、捕鯨船に乗って世界を旅しながら様々な人々に出会い、 彼らの様々な視点を聞きながら異文化を理解する過程や、その本質について何を我々に伝えようとしているかに焦点を当てる。
文学は様々な角度からアプローチできる。これは私にとって非常に興味深い。私のセミナーの学生は、通常アメリカ小説を研究する。彼らにとって一番重要なのは、自分が選んだ本にどうアプローチするか自分なりの方法を発見することだと思う。自分の考えを形成していく中で複雑な文章を分析する能力を身につけていく。小説に登場する中心人物について深く考える能力は、今後、彼らがどのような職業に就こうとも役立つスキルである。このスキルを学生に身につけてもらいたい。英語での基礎的コミュニケーション能力はもちろんのことであるが。

グローバル時代の文化研究

花方寿行 教授

(比較文学・比較文化)

「グローバル化」なる言葉が盛んに取り上げられるようになってから、ずいぶん時間が経った。言葉はおなじみになったし、現実にその結果を目にすることも普通になった。日本のJ-POPやアニメ、マンガが海外で人気を得、日本国内ではハリウッド映画や韓流ドラマが普通に見られる。メジャーリーグで日本人選手が活躍する一方、相撲の上位番付は外国人力士で占められる。そして海外に暮らす日本人が増えるのと同様に、日本国内ではかなり小さい町でも、そこに暮らす外国人を抱えるようになってきた。
だがそうした現実に、日本人の意識がついて行けていないのも、また事実だ。異文化が身近になればなるほど、逆にその多様さに目をつぶり、世界を単純化しようとするのは、現状に対応しきれない日本人の、逃避行動だろう。国内に中国語・韓国語・スペイン語・ポルトガル語を話す膨大な住民を抱え、自治体レベルでコミュニケーションに苦労していながら、英語だけ話せればグローバル化に対応できると思い込むような屈折は、気持ちは理解できるとしても、およそ現実的な対応ではない。
世界を単純化するのではなく、その複雑さ・多様さを受け入れ、異文化を知ろうとすること。それだけが新しい時代に適応する、手早くはないが確実な方法だ。「日本」と「世界」を、切り離されたものではなく、絶えず交流し混ざり合い更新されてゆくものとしてとらえる術を身につけながら、そんな世界の見方が面白くまた刺激的でもあることに気づいてほしい。