人間学コースの教育

人間はどこから来て、どこへ向うのか?

いま私たちは非常にストレスの多い社会のなかで、さまざまな悩みを抱えて暮らしています。子供たちの世界にもさまざまな問題行動が見られ、そこに大人社会の縮図が映し出されてもいます。科学技術が進歩し、高度情報化社会が実現し、生命操作までが可能な時代になりましたが、私たち人間はいまどこに向かって進んでいるのでしょうか?
人間学はこのような疑問に対して、「人間とは何か」という根本を見つめ直すところから迫ります。広大な宇宙を相手にする宇宙科学も、ミクロな生命現象を扱う遺伝子工学も、みな「人間とは何か」という問いと無関係ではありません。多様な学問方法を駆使し人間の根本に切り込むスリリングな知の格闘。それが人間学です。
人間学コースでは古典と呼ばれる文献を通じて偉大な過去の精神的創造に向き合うとともに、さまざまな現場へ踏み出すフィールド教育も実践しています。例えば芸術文化の授業では、芸術家や博物館・美術館での聞き取り調査を行い、身体論の授業では、気功や太極拳、能楽、韓国舞踊の専門家を招いて実演してもらい、アジアの身体について考えています。詳しくはhttp://www.hss.shizuoka.ac.jp/shakai/ningen/を参照してください。人間学のスタッフの最近のNewsや静岡大学哲学会の活動、そして、卒業論文の題目などを公開しています。

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人間学と哲学

堂園 俊彦 准教授

(哲学)

 
人間学とは、「人間とは何か」という問いを扱う学問です。しかしそもそも、なぜそのようなことが問題になるのでしょうか。こんな光景を思い浮かべてみましょう。ある人が暴力に訴えて争いごとを解決しようとし、それに対して、「人間は動物とは違うのだから、話し合いで解決しよう」と別の人が言います。このとき発現した人は、「人間」を「話し合い」に結びつけているようです。しかしもし、人間とは対話をする存在なのだとすれば、対話できない存在(例えば、脳死状態になった人)は、人間ではないということになるのでしょうか。それとも「対話」を、言語に限定しない仕方で理解するべきなのでしょうか。
このように、「人間」という言葉は、私たちが生きる現実に深く結びつき、それゆえに深刻な問いをつきつけます。そして、「人間」や「対話」など、日頃私たちがあたりまえのように用いている言葉をあらためて問う営みは、「哲学」とも呼ばれてきました。古代ギリシアの哲学者であるソクラテスは、色々人をつかまえては、「勇気」「美」「善」などについて対話を試みたのです。ですから「人間とは何か」を問う学問である人間学は、一つの哲学的活動と言えるのです。
人間学コースでは、この問いに、哲学書とじっくり向かい合うことを通じて取り組みます。残念ながら、哲学書を読むのはとても大変なことです。私たちの多くが日頃問うことのない問いをめぐる思考ですから、難しくて当たり前なのです。しかしだからといって、「哲学なんて役に立たない」という言葉に惑わされる必要はまったくありません。一つ一つの言葉をおろそかにせず、文章のつながりを丁寧に追いながら読むことによって得られる力は、それによって垣間見える哲学者の思想ととも、一生の宝になるはずです。
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他者・知との出会いの場

樫田 那美紀さん

人間学コース 4年生

「人間とは何か?」。人間学コースには、そんな太古から思考を重ねられた問いを続ける教員と学生が集っています。哲学、宗教、芸術etc.に学び、時に熱く語り合い、教え合い、学び合う。人間学とは、自分の「思考」を読書と対話によって他者の「思考」と出会わせる営みだと私は思っています。それが自由でゆるやかな空間で自然に行われている、それが本コースの魅力です。多くの学問の礎をなす哲学を中心に学ぶことができるからこそ、教員、学生の研究テーマは多岐わたり、いつの間にか新たな興味関心が心の中に芽生えています。「生きるってなんだろう」。そんな漠然とした想いを抱えているあなた。静岡大学人間学コースでは、同じ疑問に向き合う仲間と、膨大な知の歴史があなたを待っています。一冊の書物から、自分の思考をはるかに飛び越えた知と出会った時の興奮は、人間学の醍醐味であり、何物にも代え難い瞬間です。