静岡哲学会
成果物
研究プロジェクト
『文化と哲学』
21号(2004年11月3日発行)
| 第26回大会シンポジウム 「愛について」 | ![]() |
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| 金子 晴男 | 他者との出会いにおける愛の現象 | |
| 山下 秀智 | 宗教的愛について | |
| 浅田 淳一 | ルソーの社会理論の現代的意味 ―欲望の爆発は回避できるか?― | |
| 上利 博規 | デリダ、写真と他者のエクリチュール | |
22号(2005年11月3日発行)
| 第27回大会シンポジウム 「生命とケア」 | ![]() |
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| 浜渦 辰二 | 「ケアの人間学」と「生命ケアの比較文化論」 | |
| 児玉 正幸 | 患者の権利―医学教育モデル・コア・カリキュラムの具体化― | |
| 松田 純 | ドイツ生命政策の現在―ヒト胚政策および国家倫理委員会のあり方をめぐって | |
| 重近 啓樹 | 中国古代の「孝」をめぐる諸問題―奏・漢時代を中心に― | |
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| 堺 正憲 | 「懐胎された言葉」と「生まれた言葉」―アウグスティヌス「三位一体論」第九巻についての一考察― | |
| 研究ノ―ト | ||
| 志村 幸紀 | "indifferentia"解釈に基づいたデカルトの意志論の探求 | |
23号(2006年11月3日発行)
| 第28回大会シンポジウム「ケアと語り・正義」 | ![]() |
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| 南山 浩二 | 「現実」をめぐる「共同的対話」―ナラティブセラピーの展開とその含意― | |
| 伊藤 恭彦 | 正義の倫理とケアの倫理―ケアの倫理が政治哲学に提起したもの― | |
| 上利 博規 | デリダの芸術論と準-超越論 | |
| 研究ノ―ト | ||
| 上藤 美紀代 | 消えつつある日本語の美しい音 鼻濁音を守れ | |
| 高橋亘先生を偲んで | ||
| 天岸 祥光 | 弔辞 | |
| 金子 晴勇 | 高橋亘先生の思い出 | |
| 前山 隆 | 高橋亘先生と初期静大哲学教室のこと | |
| 稲垣 不二磨 | 高橋亘先生の想い出 | |
| 稲垣 不二磨 | 弔辞 | |
| 竹原 創一 | Ut semper victurus | |
| 芳賀 直哉 | 高橋亘先生の想い出 | |
24号(2007年11月3日発行)
| 第29回大会シンポジウム「ジェンダーと哲学」 | ![]() |
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| 船橋 惠子 | 「育児のジェンダー・ポリティクス」の後に:研究ノート | |
| 上利 博規 | 演じる身体とジェンダー | |
| 特別寄稿 | ||
| 山下 太郎 | 哲学秘話 何故の女性哲学者なのか | |
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| 吉田 寛 | ソーシャル・キャピタルと実践的倫理学 | |
| 竹之内 裕文 | 「間」の出来事としての死―在宅ホスピスの現場から学び、考えてきたこと― | |
| 川村 晃弘 | 真宗における阿弥陀仏の消失―その超越者像の変遷― | |
25号(2008年11月3日発行)
| 第30回シンポジウム「死生観を問い直す」 | ![]() |
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| 竹之内裕文 | 地域コミュニティに支えられた生と死―スピリチュアル・ケアの「医療化」を超えて | |
| 芳賀 直哉 | 死にゆく者の最終段階における希望について―トルストイ『イワン・イリッチの死』を手がかりにして―(概要) | |
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| 澤田 哲生 | 人間の経験における平板化の現象―『知覚の現象学』におけるシュナイダー症の分析を手掛りにして― | |
| 松村 岳詩 | 生物教育における科学的リテラシーとしての倫理 | |
| 鈴木 実佳 | ジェイン・オースティンと幸福感 | |
| 研究ノ―ト | ||
| ショーン・バーク | 念仏を通しての自己変化 | |
26号(2009年8月31日発行)
| 前山 隆 | 静岡大学哲学創立30周年に際して | ![]() |
| 【講演】 | ||
| 南荘 乗宏 | いのちのうた―金子みすゞの世界― | |
| 第31会大会シンポジウム「人間のこれまでと、これから―こころ、からだ、人間性への問い」 | ||
| 金子 晴勇 | 現代人間学における心身二元論と相関論 | |
| 浅田 淳一 | フランス人間学の系譜―心身二元論への対応という観点から― | |
| 堂囿 俊彦 | 自己決定の対象としての身体―カントにおける「人間の尊厳」の射程― | |
| 黒田 末寿 | 「人間性」という境界への問い―類人猿と通底するもの、しないもの | |
| 松田 純 | サイボーグ化の先にあるもの―境界と人間像をめぐる問い | |
27号(2010年7月31日発行)
| シンポジウム いま宗教を問う | ![]() |
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| 菱山 政晴 | 宗教の危険 | |
| 菅原 伸郎 | 七地沈空からの脱出――宗教の他者性をめぐって | |
| 山下 秀智 | 精神であるとはいかなることか――キェルケゴールの考えを参考に | |
| 論文 | ||
| 志村 幸紀 | 強制され,決定されるが,それでも自由-デカルト自由論の特異性 | |
| 澤田 哲生 | 平凡な世界における芸術と政治―メルロ=ポンティにおける散文の位相について | |
28号(2011年*月**日発行)
| シンポジウム いまアジアから見えてくるもの | ![]() |
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| 岩井 淳 | 世界史認識とアジアのミニ・システム――海洋史観と港市国家から考える―― | |
| 楊 海英 | 内陸アジア遊牧文明の理論的再検討――今西錦司『遊牧論そのほか』と梅棹忠夫『文明の生態史観』の現在 | |
| 上利 博規 | アジアにおける文化の多層性と現代の課題――呪術的文化、批判的意識、そして連帯―― | |
| 論文 | ||
| 水野 邦彦 | 韓国の過去事と社会的意識 | |
29号(2012年7月31日発行)
| シンポジウム 課題指向型の学際的研究の中で、哲学はどんな役割を果たせるか? | ![]() |
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| 浜渦 辰二 | 応用現象学とケア論――北欧現象学との交流のなかから | |
| 松田 純 | 応用倫理学から具体倫理学へ――対人援助職との研究連携のなかから | |
| 論文 | ||
| 澤田 哲生 | モーリス・メルロ=ポンティ『行動の構造』における病的現象の位相について | |
| 米原 優 | 危害原理と自己奴隷化契約 | |
| 研究ノート | ||
| 金森 誠也 | マルクス・アウレリウスの自省録から | |
30号(2013年9月30日発行)
| 特別報告 | ![]() |
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| 竹之内 裕文 | 北欧ケアの社会的基盤と思想的拠り所――日本社会におけるケアの再構築のために | |
| 論文 | ||
| 浜渦 辰二 | ケアを支えるシステムについての一考察 | |
| 上利 博規 | 水から考える環境の文化的価値――対症療法ではない環境倫理のために―― | |
| 小椋 宗一郎 | ヨーロッパにおける「人格」の概念史と「人間の尊厳」――いのちの始まりをめぐる論争への思想史的視座―― | |
| 研究ノート | ||
| 橋本 浩和 | 道徳的直観のメカニズムについて | |










