『文化と哲学』

研究静岡大学哲学会>『文化と哲学』バックナンバー

31号(2014年発行)

第36回シンポジウム 災害の哲学と倫理 表紙
高橋 隆雄 基調講演 共催の思想とアミニズムの展望
藤井 基貴 提題1 災害道徳の教育――防災道徳」授業の実践と哲学教育の可能性
中村 美知太郎 提題2 災害の倫理――カタストロフへの「予防接種」と崇高な主体
特別研究報告
水野 邦彦 戦後日本の朝鮮観と社会意識
研究発表
久保田 進一 モラル・ジレンマは本当にジレンマなのか?

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32号(2015年発行)

第37回シンポジウム 「欧州における看取りと自己決定」 表紙
浜渦 辰二 ドイツにおける事前指示書の法制化の内実 ――自律と依存を両立させる試み
伊達 聖伸 フランスにおける終末期の自己決定とその宗教的・文化的背景
福島 智子 看取りにおける自己決定と家族――ローマでの調査から
論文
斎藤 真希 法然における悪の問題について
齋藤 美恵 「生活世界に導かれたケア」の可能性――Karin Dahlbergによる「患者中心」的アプローチへの問題提起をめぐって

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33号(2016年発行)

第38回大会シンポジウム 「医療における意思決定と子の福祉」 表紙
白井 千晶 卵子提供をめぐる当事者の意思決定と子の福祉
小椋 宗一郎 着床前診断をめぐる最近の議論について―ー2011年のドイツ倫理評議会答申における「同一性」概念を参考に
加藤 太喜子 「医学的無益性」と子どもの「最善の利益」
堂囿 俊彦 子の福祉と医療
論文
松尾 和光 ガンディーの「非暴力」の思想の射程――アーレントの「暴力」を手がかりに
米原 優 経験機械で快楽説をやっつけられるのか

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34号(2017年発行)

第39回大会シンポジウム 「哲学的対話の可能性を問うー二つの実践を手がかりにー」 表紙
小柳 敦史 哲学カフェはどのような意味で哲学的なのか-「哲学カフェ@しぞ~か」の実践から考える
山田 圭一 学校教育における哲学対話の意義と位置づけについて
田中 伸司 哲学における対話の意味
論文
藤本 穣彦 アンソニー・ギデンズの親密性論―「自律」を支える親密なコミュニケーション―
研究ノート
松井 希 「蒐集家」と「夢の世界」―ベンヤミンの記述からみる蒐集の性質―

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35号(2018年発行)

第40回大会シンポジウム 「情報技術の展開と哲学」 表紙
根村 直美 〈人間〉の終焉とポスト・ヒューマンーー〈クリティカルなポスト・ヒューマニズム〉をめぐってーー
論文
松原 英治 現代日本の都市自治体における地域コミュニティ改革の意味ーー北九州市における包括的地域経営主体の創出に注目してーー
米原 優 死者への危害はなぜ許されないのか
澤田 哲生 自己認識と対人関係の始まりについての現象学的考察ーーメルロ=ポンティ「幼児の対人関係」講義における情動性を手がかりとして

36号(2019年発行)

第41回大会シンポジウム 「宗教と科学技術――哲学から問い直す」 表紙
横山 輝雄 自然主義・宗教と科学コミュニケーション
竹田 純郎 技術時代におけるキリスト教
竹之内 裕文 科学技術と人間――「技術との自由な関係」をもとめて
論文
辻 春香 解釈の技法――ディルタイとがだまーの近さと隔たり
川里 卓 『物質と記憶』における「主観性」と円環構造

37号(2021年発行)

第42回大会シンポジウム 「我々はなぜ自国の法律に従うべきなのか 」 表紙
米原 優 我々はなぜ法律を遵守すべきなのだろうか
青山 治城 遵法(法に遵う)とはどういうことか?
論文
竹之内 裕文 対話を通して生と死を探究する――死生学カフェという挑戦 
田中 伸司 エルの物語はどのように「私たちを救う」(Rep. X 612c1)のか

38号(2022年発行)

論文 表紙
澤田 哲生 空想・神話・共同体―マルク・リシールとピエール・クラストル
南 利明 ナチズムに呪縛されたハイデガー?―『形而上学入門』の真実―

39号(2023年発行)

論文 表紙
頼住 光子 折口信夫における仏教
鈴木 朋子 近代仏教における修養論 : 清沢満之と佐々木月樵
斎藤 真希 『日本霊異記』における現世利益
田中 伸司 対話(ダイアローグ)の限界と可能性 : プラトンの描くソクラテスの対話から
野口 淳 後期ニーチェにおける読者への呼びかけ
南 利明 アウシュヴィッツで 『暴力批判論』を読む