10月30日に大学会館にて催される朗読劇「考える森の朗読会~言葉の森に迷う動物たち~」のスペイン語の朗読作品は『プラテーロと私』です。作品の舞台となっているモゲルを紹介します。まずマドリッドのアトーチャ駅からAVEに乗ってセビーリャに出ます。
セビーリャに到着。
セビーリャの中心地からグアダルキビル川沿いに歩いて行けるプラサ・デ・アルマス・バスターミナルからウエルバ行のバスが毎時1本以上頻発しています。1時間程度でウエルバに到着します。スペインの景気が良かった時に整備した道路のお蔭で快適です。
ウエルバに到着。ポルトガルに近いせいか、ポルトガル語をよく耳にします。ここからバスに乗りコロンブスが第一回航海へ出発したパロス港、コロンブスの航海をサポートしたラビダ修道院を経由してモゲル まで30分。
モゲルに到着。街はプラテーロだらけ。プラテーロ地図とポイントがたまるプラテーロ・パスポートを手に関係各所を回ります。
アンダルシア地方といえば果て無く続くオリーブ畑。
アンダルシア地方を舞台としたプラテーロがなぜロバなのかというと、ロバはオリーブからオリーブオイルを絞り出す際に欠かすことのできない大事で身近な動物だからです。
まずは作品に出てくる、フアン・ラモンが育った旧ヌエバ通りゼノビア・フアン=ラモン博物館へ。こちらはスペインで最も成功している博物館だそうで、意外なことに様々な国籍の大勢の人が訪れていました。裕福なワイン商の息子として生まれた自身のリベラ通りの生家についてフアン⁼ラモンは記憶がなく、愛着がないそうです。奥さんなくしては何をも成し遂げられなかったと、博物館にはゼノビアの名前が冠されています。ゼノビアという名前はスペインでは実に珍しい名前です。彼女の母や祖母もかなり変わっている名前に持ち主です。ゼノビアは体が弱く、神経質なフアン=ラモンを全面的にサポートしました。名前についてはフアン・ラモンは、フアン・ラモン・ヒメネス・マンテコンのフルネームのうちもう一つの名字マンテコンを、マンテカーダともじっていじめられるのが嫌だったため一切用いることがなかったそうです。
『プラテーロと私』の初版。フアン・ラモンは右側の装丁を希望していたのですが、担当していた友人に騙され左側で出版され、大変悔しがったそうです。本で得た収入は「自分が楽しんで書いたものでお金はもらえない」とし、印税を受け取ったり、困窮していても申し出るということができなかったそうです。
そんなフアン・ラモンをフォローしたのがゼノビア。彼女はプエルトリコで財を成した大金持ちの娘でした。当時としては珍しくアメリカの大学で学び、外国語が堪能でフアン⁼ラモンを病院に連れていけるよう車の免許をとった当時のスペインで突出した女性でした。結婚に反対され、経済的に生活を支えなければならなかったため働いていましたが、何もせず親の財産で生活する兄たちをむしろ恥知らずであるとしていたそうです。フアン・ラモンの秘書もし、タイプライターで清書をしていました。奥の棚にあるのは各国語版『プラテーロと私』です。
ノーベル賞受賞の知らせ(右)を受けたものの、ゼノビアの病状が深刻で代わりに友人に授賞式に行ってもらった際の写真です。
ゼノビア・フアン=ラモン博物館を下ると、ゼノビアとフアン・ラモンが埋葬されているお墓があります。プラテーロのモデルとなったロバが埋葬されている場所はそこからさらに2キロあり、さすがに真夏のアンダルシアの中歩くことはできませんでした。
モンテマジョール教会は中心にあります。見どころが多いので、ラビダかパロス、ウエルバに泊まるのがお勧めです。







































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